「旅館甲子園」 亀清旅館の申込み "Dream Ryokan Project" Kamesei's Application

2012.11.24: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

Chef武井が頑張っていて、亀清のパンフの表紙にも。

全旅連青年部の企画で来年2月に東京で「旅館甲子園」が開催される。旅館若旦那の宿に対する夢及び従業員のモチベーションとの事で、全国の旅館・ホテルが対象のなっている。

亀清旅館の宿作りが私のライフワークとなってきて、そして我が宿のChef武井の頑張りもあって、申し込んでみた。

申込み文章は長いですが、私のビジョンなので、良かったら下記にてお読みになって下さい。

The All-Japan Ryokan Junior Association will hold a Ryokan Koshien competition in February 2012 in Tokyo. One ryokan from each prefecture will be selected to represent their area, and the top 5 will make their presentation at the Tokyo competition. The criteria is the management vision of the proprietor and how that is conveyed to the employees.

As Kamesei Ryokan has become my life work, and as our chef Takei-san has embraced that vision, I decided to apply. It's all in Japanese, and it's a long read, but my application letter is as below.

旅館甲子園 Dream Ryokan Project

アメリカ生まれの私は大学で日本語を習って、卒業後で長野に一年半生活した。その時に亀清旅館の娘と出会って、実家が温泉宿だと聞いた。温泉が大好きな私には運命の赤い糸が結ばれた。
地元に戻った時にその娘を引っ張って行って、向こうで結婚して11年間生活した。その間は亀清旅館の女将が引退をしたくなったが、跡継ぎがいない為に全部を壊す様な話となった。世界を旅した私にとっては日本の旅館がどれだけ特別か感じて、亀清旅館の昔からの作りが特に大好きだった。アメリカでの人生を捨てて、嫁藩を引っ張ってきて、7年前に青い目の若旦那となりました。
最初は周辺の業者に「あの宿はいつ潰れてもおかしくない」と言われたり、近所で「向こうの人が来たか?もう、終わりだね」との噂が拡がり、辛かった。その頃は謝金が年間売り上げの2倍だった。当時のお風呂は大浴場内湯の二つだけだった。露天風呂を作りたかったけど、お金がなかった。売り上げを伸ばすために客数増加用の宣伝予算がない。とにかくお金がなかった。

ある日、ある旅館青年部のOBが「露天風呂の造り方を教えてやるし、道具を貸してやるし、作れ!」と言ってくれた。ボロボロで恥ずかしいプールだった所で地元の川石を使って、戸倉上山田温泉の歴史を記念する「100年風呂」を自分の手で造った。お客さんが温泉に入りながら星の光も浴びれる様になった。あれからもう二つの露天風呂を造って、合計3つが出来た。
もう一人のOBが温泉街の近くの夜景スポットを見せてくれて、地元の伝説を教えてくれた。「姨捨夜景・語り部ツアー」が生まれて、未だに継続してる。最初は女将社長に怒られた。「夕食後は若旦那がお皿洗いの手伝いをするんだよ」と。「社長、お客さんで綺麗なお皿で喜ぶアホがいない。夜のツアーのお陰でお客さんは旅の良い思い出が出来ているよ!」と喧嘩した。その良い思い出のお陰でお客さんの喜びを得て、口コミに反映して、それが広げて、お客さんが増えてきた。
私のポリシーは信州の温泉宿としてお客様の一人一人に何かプラスαのおもてなしを提供することである。手作りの露天風呂、姨捨の夜景と伝説、デザートでアメリカ式アレンジのアイスをお子さん達に提供、駅からの送迎の途中で千曲川を眺める景色ポイントに寄る、長野産のそば粉入り母のレシピの「シアトルクッキー」を焼いてお茶がしとして出す、近くのお寺さんで朝5時座禅や地元のお神楽の練習に連れて行く(私は獅子笛をやっている)、等など、この青い目の若旦那なりのおもてなしを提供している。
設備や建物が古くて、少しずつ改造している。客室を改造する中で長野県に特化したテーマで改造している。12部屋しかないけど、現在の客室の名前が「松風」とか「末広」、つまり、沖縄でも北海道でもどこであってもおかしくない名前である。それは許せない。長野県の旅館に来る方は長野県と触れ合いたがっていると思う。
周りの町で昔は絹の生産が多かったし、近くの上田市は日本三大紬の上田紬で有名です。「松風」の客室の為に蚕棚でコーヒーテーブルを作って、自ら上田の紬工房に行き、100年前の織機でタペストリーを作って壁の書けて、床の間で糸巻の機会を飾って、いずれかは「紬」と言う名前に変えたい。
私が長野県に来てから毎年の10月の楽しみの一つはりんごである。りんごの中でも、昔からの紅玉が特に好き。畑で採りたてのままで食べたらその甘酸っぱさの刺激は忘れられない。「末広」の庭を作りなおした時に庭師に紅玉の木を植えてもらって、部屋のベランダの為にりんごの木でテーブルを作って、この冬に部屋の水回りを直す時にりんごのステインドグラスを入れる予定していて、この部屋名は「紅玉」にしたい。
とにかく、手作りの露天風呂や青い目のおもてなしだけではなくて宿の客室からも長野なりの感動をお客様一人一人に与えたい。

板長はある日、相談しに来た。「タイラーさん、新しい一品を考えているけど、AかBのどちらが良いか、悩んでいる。Aの方が無難だけど」と。「板前さん、私は無難な人生をアメリカで捨てて来た者。チャレンジをしましょうよ」と私が答えた。それからは板長の元々工夫された料理が少しずつ進化して来た。代表的な一品が板長の「びっくり茶碗蒸し」である。少し洋風で、上にバルサミコ酢をかけている感動的な一品となった。
お料理に関して、私の役割は長野県旅館青年部とか地元の農家の付き合いから得た情報を板長に提供する事である。冬は地元のお客が多くて、海の物が喜ばれる。しかし、海の無い長野の旅館で蟹づくし料理を出すのはどうかと思う。板長と議論したので出来るだけ地元の食材を使うようになってきた。お客様は県内からでも県外からでも、海外からでも、とにかく長野の食材を板長のアイディアで出している。1つの例は県青年部が押しているまぁーずソースを好評で取り組んでいる。もう1つは地元のリンゴ農家との交流会で百者のおばさんが「どうして戸倉上山田の旅館に泊まる時にデザートでみかんが出るかい?」と質問した。板長は刺激を受けて、あれから冬は手製のアップルパイを焼く様になった。尚且つ、信州味噌の隠し味で工夫して。
私が来てからの7年間で板長の創作料理は花が咲いた様にアイディアが取り組まれて、その上に長野県産の山の幸を更に生かしてきた。とにかく、板長は私と同意で、手をかけてお客さんに感動を与える様に日々努力してくれている。

露天風呂も出来、プラスαの信州らしいおもてなしでお客様一人一人に感動を与えているお陰で好評の口コミが広げて、客人数が増えてきた。謝金を返し続けて、今は逆転で年間売り上げが謝金の2倍になった。
板長の料理の反応は当たり外れが激しい。特にそのびっくり茶碗が問題を起こしている。最近の口コミで「食事も変に手を加えすぎていて、いまいちでした。洋風の茶碗蒸しもバルサミコ酢が乗せてあり、これが苦手な人も多い。」や「 バルサミコ酢のかかった茶碗蒸しは、無理でほとんど残していました。」と怒られながら、「夕食は工夫された手作り感のあるメニューで特にバルサミコ酢の茶わん蒸しは絶品でした。これだけ食べにまた伺いたいくらいです。」と大満足して頂いたお客さんもいらっしゃる訳。私の口コミの答えかったが辛いせいか、一般的な料理を食べたい保守的な方がやっと他に泊まる様になったみたい。最近のお客さんは板長の腕を逆に期待してきていて、喜んで頂いている。
そして、地元の食材の活かし方が当温泉の中で代表的となって、JALの機内雑誌にも紹介された。
宿作りは若旦那として当然、一生懸命である。しかしながら、町おこしや長野県への貢献もしている。この戸倉上山田温泉のハイキング・サイクリングマップや英語のグルメガイド・散歩地図を作ったり、レンタサイクルを始まったり、母の日のコサージュ作り、夏の射的大会、イースターやハロウィーンなど沢山のイベントの先頭に立ったり、まあ、小さい事ばかりですがそれこそ温泉街にお越しになる方々にできる限りで感動を与える様に頑張っている。
県レベルでは公式外国語サイトのブログを立ち上げたり、県青年部のインバウンド委員会を担当して全国大会@沖縄でOB賞を受けたとの活動もしている。
亀清旅館での宿作りが私のライフワークになった。板長とスタッフの皆と手を組んでこれからも長野の代表が出来る温泉宿になる夢の実現を目指している。アメリカなりのおもてなしも少しずつ取り組みたい。その大前提はお客さんの一人一人が喜んで頂ける様にまず努力をする事。






高橋祐次さんの温泉セミナー Onsen Seminar By Takahashi Yuji-san

2012.11.10: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

Takahashi-san giving his seminar at Taki no Yu.

日本温泉地域学会関係で知り合った温泉ソムリエ高橋祐次さんが信州高山村の松川松川渓谷温泉郷の滝の湯さんで温泉のセミナーを開催しました。前泊は私ども亀清旅館に泊まってくれて、私がそのセミナーに参加する為に松川渓谷まで追いかけました。

セミナーの内容は温泉の基本の事でしたが、非常に参考になりました。「温泉」の世界が深い中で一番のポイントは「温泉のマナー」とか「入浴ルール」とかはどこに行ってもしつこく書いてあるけど、実はそれは自分自身の体を守る事にもなる。
・入浴前に掛け湯をする
衛星の面はもちろんあるけど、お湯の温度に慣らす事によって、血圧上昇で心臓に負担かけを防げる。
・浴室で十分身体に付いた水滴をとる
脱衣場を汚さない為にもなるけど、気化熱で体冷えも防げる。
など。

でも、一番はやはり、水分補給だと、高橋さんが言っていました。先日、亀清旅館のお客さんでお酒を飲んでからお風呂に入って、上ったら血貧になったせいか、たおりました。お風呂とお酒で水分が飛ばしたでしょう。

高橋さん、良いアドバイスを有難うございました。

Mr. Yuji Takahashi and I originally met through the Japan Onsen Regional Science Association. He came back to Nagano to give a seminar on onsen basics at Taki no Yu in Takayama Village. He spent the night before here at Kamesei Ryokan, and I followed him up to Takayama Village to listen to his presentation.

Takahashi-san's talk simplified many of the sometimes confusing details about onsens. His main conclusion was that many of the "Onsen Manners" and "Rules for Onsen Bathing" actually serve the dual purpose of protecting our bodies. For example:

*Pour water on your body before entering the bath.
Not only does this allow you to enter the common bath with a clean body, but it gives your body a chance to adjust to the temperature of the bath, avoiding a spike in your blood pressure.

*Towel off before leaving the bath area.
This helps avoid making the changing room slippery, but it also means your body will have a less chance of developing chills due to evaporation.

One of Takahashi-san's constant points was to drink lots of liquids. Bathing in an onsen actually dehydrates your body. We recently had a guest here at Kamesei Ryokan that took a soak in our onsen bath after drinking too much sake. When he got out of the bath, he passed out since the sake and onsen bath left him too dehydrated.

Takahashi-san, thank you for all of your great advice!

滝の湯Taki no Yu





NHKの「千曲川紀行」番組の影響 Ruminations from NHK's Chikuma River program

2012.11.04: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

先日は上山田の温泉街を歩いていた一時。

かどで待っていた時に、袖が後ろからちょっと引っ張れた。誰かなと回ってみたら、小さな可愛いおばさんが含み笑いしている。小さな声で「テレビを見たよ」と。

きっと、11月1日に放送されたNHKの「千曲川紀行」と言う番組でしょう。俳優の田中要次さんが千曲川の源流からずっと旅した番組。この戸倉上山田温泉では、田中さんのガイドは何と、私でした。千曲サイクリングクラブのメンバーと川沿いの自転車道路で田中さんと走ったし。

実は、私はまだ問う番組を見ていないですが、私の千曲川に対する熱心がどうも伝われた様です。

袖を引っ張っていたおばさんの目にもそのニュアンスを読めました。

そして、最近に亀清旅館に泊まった広島県のOさんから手紙を頂きました。その一部をここでシェアーさして下さい。

「千曲川紀行」を視させていただきました。
貴台とご家族の皆さんのお元気なお姿を拝見して、宿泊した…ことを思い浮かべました。
タイラーさんの、すっかり地元に馴染んでご活躍のご様子と、何事にもアクテイブな生き方に、感銘を受けました。
貴地へは始めての訪問でしたが、いろいろ心の琴線に触れるものを感じました。私は岐阜県中津川市の生まれで、木曽川で遊び、木曽川に育てられました。その木曽川は開発で活力を失くし、残念ながら当時の母なる川の面影はありません。
「千曲川」を視て、その流れが私の思いでの木曽川とダブり、懐かしくもあり、悲しくもあり、?ましくもなりました。「千曲川」はだいじにして下さい。
「千曲川」沿いのサイクリングに、やはり小学生の頃、友達と木曽川沿いの道を自転車で走り、危うく崖から落ちそうになったことなど、思い出されました。

番組で私が案内した「千曲川の夜景」の事も書いてくれて、思い出の深い手紙でした。

Oさん、有難うございました。NHKさんにも感謝しています。これからも私がこの戸倉上山田温泉で、千曲川の流れの側で旅館の若旦那の生活を続いていきます。

The other day, I was walking around our onsen town Togura-Kamiyamada when I felt someone tugging my sleave. I turned to look and found a cute little old lady there with a curious grin on her face.

She said in a small voice, "I saw you on TV."

No doubt she meant NHK's "Chikuma River Journey" show that aired on November 1st. Movie actor Yohji Tanaka was featured following the river from its source, through Togura-Kamiyamada, to its end. His guide for the Togura-Kamiyamada portion was, me! I have yet to see the show, but apparently my enthusiasm for the Chikuma River was well-conveyed.

I saw a glimpse of that enthusiasm in the eyes of the little old lady who pulled my sleeves.

NHK千曲川紀行「千曲市編」Chikuma River Journey, Chikuma City Segment


NHK's Chikuma River show


沖縄全国大会:真面目なお遊び Fun Side to the Okinawa Convention

2012.09.30: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

Heiwa Market lunch

私の父親に良く言われました: 仕事は一生懸命。遊びも一生懸命。

旅館青年部の全国大会@沖縄。大会の部分は真剣に参加しましたが、せっかく初沖縄だったので、遊びもしっかりしました。
海で泳いだり(長野は海がないから、前夜祭ビーチパーティー@宜野湾トロピカルで海に飛び込んだ!)、
首里城見学(沖縄の独特の位置との歴史・文化の奥深さをより知りました)、
平和市で買い物(下の売り場で魚を買って、2階の食堂で調理してくれるのは最高!)
壺屋やちむん通り散策(清正陶器店で陶芸家の娘と出会って、その情熱で感心しました)

短い間だったが、亀清でのお仕事が待っていたし台風が向かっていたし、2泊だけで帰りました。沖縄を体験できて、嬉しかった!一番は観光ではなく、やはり、人とのふれあい。市場の方や陶芸屋さん等とのお話。我が亀清旅館もそうやって「顔のあるおもてなし」をお客様にこれからも提供したいと思っております。

My father always told me, "Work hard and Play hard."

On this trip to Okinawa for the ryokan association's national convention, I managed to do both.

I got in a swim in Okinawa's ocean at Ginowan's Tropical Beach before the pre-convention beach-side bbq,
I toured Naha's trademark Shuri Castle, which gave a lot of insight into Okinawa's unique position as a trading crossroads,
I shopped at the Heiwa-doori market (what a treat to be able to buy fish from a monger downstairs, and have a restaurant upstairs prepare it for lunch),
and strolled Tsuboya pottery street, stopping in at Kiyomasa Pottery and getting a heartfelt conversation with the daughter of the artisan.

It was a short trip, but with work waiting for me back at Kamesei and a typhoon headed to the islands, I went back to Nagano after only two nights in Okinawa. But I managed to make lots of long-lasting memories while there. The best memories weren't from the touristy spots, they were from getting to know the people -- the owner of the restaurant at the market, the pottery lady, etc. That's what I hope to provide for our guests here at Kamesei Ryokan -- personable service.





沖縄全国大会:真面目なお仕事 Serious Side to the Okinawa Convention

2012.09.29: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

分科会Panel Discussion

旅館青年部の全国大会@沖縄:
遊びに行ったと思われるかもしれませんが、まじめなお仕事はちゃんとしてきました。

全国大会の中で、「分科会」があって、それぞれの委員会は研究発表をします。私が参加したのは政策立案委員会・観光連携委員会のプロデュースしたパネルディスカッション。国会議員の二人も来てくれて、業界の悩みの色々を議論しました。
無茶苦茶ドライでしょう。自分はどちらかと言うと、クソ真面目なので、大好きでした。
主の議論はどうやって日本の皆さんの休みを増やすか。先進国の中で、1年間の平均休日の日数は日本がビリです。もっと有休をとって、旅さえすれば私ども宿泊施設の利用が増える訳。
分析すれば、問題は2つ:時間がない事とお金がない事。
出てきた解決案:
「時間がない問題」
IFRS(国際財務報告基準)に登録をする事。IFRS制度の中で最低休日の日数規定がある。経営者は従業員を休ませる義務となる。今年の国会の会期ではIFRS登録は見合わせされたが、来期は期待する事。
「お金がない問題」
国が旅補助金を出す事。エコポイントの様に、旅行の為の補助金。既に、市町村によって市民の健康の為に宿泊代の補助制度がある。例えば、亀清旅館は西東京市の「国民健康保険事業」に登録をしていて、西東京の市民が泊まれば市から3000円の補助金が出る。
青年部の来年の陳情ポイントはこの二つで決まりかな?

During the ryokan junior association national convention in Okinawa, it wasn't all fun and games (and drinking). On the serious side, the various national level committees held break-out sessions to discuss the areas that they had worked on during this term. The session I attended was by the Government Relations Committee, and it featured a panel discussion that included two members of the Japanese Diet.

The main topic was how to get more Japanese people to take vacations. Of the developed countries, Japan rates last in the average number of vacation days people take per year. If more people went on vacation, there would be more use of our hotels and ryokans. The problem boils down to 2 factors: No time, and No money. The committee's solutions:

No Time: Have Japan join the International Financial Reporting Standards (IFRS).
One of the provisions of IFRS is a minimum number of vacation days. Companies would be obligated to get their employees to take a certain number of days off.
Apparently joining the IFRS didn't pass in this year's Diet session. Hopefully it will next year.

No Money: Have the government subsidize vacations.
The government already offers "Eco-Points" to subsidize the electronics and car manufacturing industries. And some municipalities subsidize hotel stays for the purpose of improving their people's health through recreation. For example, Kamesei Ryokan is registered with Nishi-Tokyo City. Citizens of that city get a 3000 yen discount when they stay with us.

Next term, when the ryokan association makes its visit to the Diet members, I think I know what we need to petition for.

全国大会分科会 Break-out Sessions at the National Convention





1週間ぶりの日本の温泉 First Onsen Bath in a Week

2012.09.05: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

シアトルから帰ってきて、まずは温泉。一週間はシャワーで我慢しましたが、やはり日本のお風呂が良い!

一週間ぶりの温泉で一番感じたのは、その硫黄の香り。上山田温泉は単純硫黄泉なのでほのかな硫黄の香りをします。お客様が亀清旅館の玄関に入って、「あっ、硫黄の香り!」とよく仰います。
しかし、ここに住んでしまえば意外な事ですが、その香りがしなくなってしまいます。
今回のお風呂は一週間ぶりだったので、硫黄の香りをたっぷりして、嬉しかったです。

Got back from Seattle and the first thing I did was take a soak in Kamesei Ryokan's onsen bath. I had put up with showers for a week.

This bath made me realize how strong of a sulfur smell Kamiyamada Onsen's mineral water has. Many times our guests will walk through our front door and exclaim, "Wow, I smell the sulfur from here!"
But for those of us that live here, we gradually get accustomed to the smell and don't pay any attention to it.
So that made this bath extra special for me -- I got the full sense of the sulfur experience!





タホマ富士 Tahoma Fuji

2012.09.04: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

シアトルは1年半ぶりに訪ねました。その間は色々と変わりました(グリーン薬局=マリファナ屋さんはいつの間にか増えてしまった)が、変わらない良さもある。

シアトル市から見えるレーニア―山(別名:タホマ富士)

This trip back home to Seattle was my first in a year and a half. A lot has changed in that time (where there green pharmacies 18 months ago?), but some things never change.

Pictured is Mount Rainier, nicknamed Tahoma Fuji.



One of Seattle's (newly) ubiquitous green pharmacies


教会か若旦那か、どちらの道? Lay Minister or Innkeeper -- which road to take?

2012.09.03: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

友人の結婚式の為にシアトルに一週間ぐらい訪ねました。
里帰りは偶に必要だと、思いました。色んな意味で。
もちろん、親孝行や親戚サービスの面が大事。
自分の故郷やルーツの馴染みが薄くならない為にもなる。

そして、今回の里帰りで特に感じましたが、自分の人生の道の再確認にもなる。

これは特に観光と関係ない話だが、「たまに観光じゃなくて、若旦那の事について読みたい」と言う声もファンから頂きましたので、お言葉に甘えて…

「どうして旅館の後継になったか」とよく聞かれますが。普段は「後継ぎは他にいなかったので、亀清旅館が駐車場にならない様に戻った」と簡単にお答えします。

しかし、実際はそんなに簡単じゃない。

磨利ちゃんと結婚を決めた時、どの国に住むかはまず決める必要がある。
私はシアトルが大好き、貿易関係の仕事に興味があった、
磨利ちゃんは長野が特に大好きでもなかったし、旅館の仕事は嫌だった。
との事で、単純にシアトルを選んで、私が貿易の世界に飛び込みました。

生活の面で、二人で好きな家を買って、好きな仕事で頑張って、ハッピーハッピーでした。

ところが、私の仕事は最初にものすごく意味を感じた
(アメリカの田舎の保守的な農家と細かくて厳しい大阪の輸入者の間に立つのに、かなりの才能が必要)が、
段々と現実が見えた
(玉ねぎを一円でも安く買って、一円でも高く売って、その隙間で生活を作る事、そしてお正月など関係無く働いて、全てを会社の為に犠牲にする事)。

磨利ちゃんこそ、
シアトルは雨の多い町で、そのせいで段々とブルーになり、
そして息子達が生まれて、言葉のハンディーもあって子育てするのにやはり自分の国が良いと。

日本に戻るか?
戻るなら、私の仕事は?英会話はすみませんが、もう卒業。サラリーマンになったらまた会社の為にすべてが犠牲。
じゃ、私の憧れの亀清旅館は?

こう悩みながら、私が地元の教会では段々と活動するようになった。その活動が周りの人の幸せにつないでいて、私の本来の仕事にしたら…と思ってきました。ちょうどその時に当地の大司教管区がシアトル大学と連携をして、俗人を教会の仕事の為に育つコースを始めた。申し込んでみた。シアトル大に受けられたが教官区に「基礎が足りない」と断れた。(基礎を作る為のコースだったのではないかと疑問が残っているが…)

従って、亀清での若旦那という道を選びました。
振り返ってみれば、正解でした。この仕事で、お客様が温泉でリラックスし、板長のお料理で満腹になり、お帰りになったら「旅館に泊まったおかげで体の充電が出来た」と言う声が良く聞きます。人の幸せの為になっている天職です。

On this recent trip back home to Seattle, besides being able to spend time with my family and reconnecting with my home town, it was also a cause to stop and reflect upon my life, and the direction it is taking.

Many people here ask my how it is I became an innkeeper. My normal, quick answer is that there was no one to take on the business and we came back to keep Kamesei Ryokan from being turned into a parking lot.

Of course, the real answer is a bit more complicated than that. And it has nothing to do with tourism, which is the normal focus of this blog. However, at least one reader has requested less about tourism and more about me. So, here it is:

When Mari and I decided to get married, as an international couple we first had to decide which country in which to live.

I love Seattle, and was wanting to get into the import/export field. Mari on the other hand didn't particularly like Nagano, and didn't want anything to do with her family's ryokan. So we decided to live in Seattle, and I jumped into the import/export world.

At first, everything was great. We bought the house of our dreams, and I was thriving as an onion exporter. It takes a certain skill to be able to maneuver between the conservative onion growers and the strict Osaka importers.

But then reality gradually hit. It all boiled down to buying a bag of onions for 1 cent less, and selling it for 1 cent more, and eeking out a living from the difference. And forget about taking Christmas off. Too many sacrifices, and for what?

Mari, too, had second thoughts. Seattle's a rainy town, and that started to depress her. Then when our sons were born, she felt the language barrier even more and decided she preferred to raise our children in Japan.

Move to Japan? What would I do for work? I was done with the English Conversation Teaching gig. And becoming a 'salaryman' for a Japanese company would mean sacrificing everything again. What about the ryokan, then?

Meanwhile, I had been getting more and more active in our local church. It was so rewarding, helping to change people's hearts for the better. And at that time, our local Archdiocese started a new program for lay ministers with Seattle Univeresity. I applied!
S.U. accepted my, but eventually the Archdiocese declined me, saying I was not grounded enough. (It was to get grounded that I wanted to join the program!)

So, I took that as a sign, and Mari and I made the move to Nagano with our kids.

Looking back now, it was the right decision. Being an innkeeper means we get to provide a place for our guests to relax in the baths, enjoy our chef's meals, basically recharge their bodies' batteries. I feel this is my minstery.


Immaculate Conception Church, Seattle's 1st Catholic church. Where my buddy Matt got married. What it would've been like to work at a church like this?


My Creative Inspiration: Mom

2012.09.02: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

Since coming to Kamesei Ryokan 6-1/2 years ago, I've put my hands to work making everything from a sign for the entrance to an outdoor onsen bath. There's something in me that makes me want to create things with my own hands.

I thank my Mom for that influence. She is an avid quilt maker. In fact, we have several of her quilt wall hangings on display here at Kamesei Ryokan. Mom uses a lot of Japanese fabrics in her quilts, so they are well-suited for our Japanese inn.

While I was back in Seattle for my friend's wedding, I took this picture of her posing next to her latest quilt. So if/ when you see one of her quilts hanging Kamesei's walls, you'll know who made it. And you'll know who inspired all of my creative works here at the inn.





亀清旅館のネオンアート作家の結婚式 Wedding Ceremony for Kamesei Ryokan's Neon Glass Artist

2012.09.01: 青い目のおもてなし This American’s Omotenashi

Matt and Jessica's Wedding, Immaculate Conception Church, Seattle

亀清旅館のヒバで出来た露天風呂の側にネオンのガラスアートは一作品が飾ってあります。私のシアトルの友人、Mattさんが作ってくれました。最初はロビーに飾ってみたが、どう見ても合わなかった。そして、そのヒバの露天風呂を作った時に、狭い場所に無理矢理に設置した様な事でした。目を遊ばせる何かが欲しかった。そこで、Mattさんのネオン作品を思い付きました。お風呂の周りに竹で出来た塀を作っていて、「もしかしたらそのネオンのアートは竹の中に入るかも」との発想。

Mattさんは私が一番最初に作った「100年風呂」露天風呂を作った時に、亀清で滞在して、お風呂作りに手伝ってくれました。

また違う時にMattさんは秋に来て、地元の皮閉科神社の中秋際に一緒にお相撲をやりました。

そのMattさんは9月1日にシアトルで結婚しました。もっとも仲良い友人との事で、私がシアトルに飛んで、結婚式に参加しました。

亀清旅館のつながりが深いMattさんの結婚式の写真を提供させて頂きます。

Next to Kamesei Ryokan's outdoor bath made of yellow cedar is a piece of neon glass art, made by my best friend Matt Stiger. Actually, at first we had that artwork on display in our inn's lobby, but it just didn't match the overall ambience. And when I built that outdoor bath, I there wasn't much space to work with. It left me wanting something to entertain the eye. As I was putting together the bamboo screen around the bath, I was struck by the idea of putting Matt's neon crackle tube in one of the pieces of bamboo.

Matt was also here when I built our first outdoor bath, the 100-Year Bath, and helped out immensely with that construction.

And he was here another time in the fall, just in time for our local shrine's Autumn Festival. Matt and I participated in the sumo tournament together.

Matt got married in Seattle on September 1st. With all of these important connections, I just had to take a week off from Kamesei and fly home to attend his wedding. Here is a picture from the ceremony.