ハロウィーンの1ポイント

2009.11.02: 日米関係Culture Shock

ハロウィーンはもう通り過ぎまして、東京の方でクリスマスの飾りが既に出てきているようです。そして、クリスマスが終わったら、日本はお正月に切り替えちゃう。

心細いです。

その切り替えの激しさでのではなくて、ハロウィーンとクリスマスの浅さで。

以前にも書かせて頂きましたが、クリスマスに関して欧米ではイエスクリストの誕生日の聖日としての意味が薄くなって、消費の祝日になりつつがある;日本は聖日の意味実態は元々関係なかった。

今年で気付きましたが、日本はハロウィーンも元々の意味が分からずに、日本なり欧米を真似している。

ハロウィーンの意味は何?

日本のあちらこちらで、仮装の行列が行われたようです。仮装を付けて人の前で歩くのはハロウィーンではなくて、自己満足です。

町のハロウィーンパーティーで残されたかぼちゃは亀清の玄関で飾っています。それを見るお客さんに「あっ、ハロウィーンだ」とよく言われます。オレンジ色のかぼちゃはその物がハロウィーン?竹と松はその物がお正月?

私が子供のころ、近状の友人がその親戚の家にハロウィーンパーティーに呼んでくれました。皆がマイかぼちゃを持って、皆で食べれる一品ももって(つまり、ポット・ラック・パーティー)そして気が向いていたら仮装も付ける。その親戚の家は子供8人ぐらいがそだられて、寝室は10個ぐらいある3回建て+地下室と言うでかい家でした。我々子供達が家中に走りまくった。親が一回のリビングやダイニングで飲みながら立ち食いながらお喋り。1つな部屋にかぼちゃを持ってきた皆がランタンを作っていた。皆が終わったらランタンのコンテストがあった。コンテストの結果発表の時に、並ばれたランタンの中に蝋燭が光っていて、不気味な雰囲気でした。そして、すべてのランタンは個別な楽しい「賞」をもらった。「一番可愛いお鼻賞」とか、「マイケル・ジャクソン似賞」等。もう1つな楽しみはBobbing for Applesと言うりんごのゲームでした。大きい樽にお水をいっぱい入れて、そこに沢山の茎のはずしてあったりんごが浮かんでいえる。参加者は手を使わないで、口でりんごをつかまってみる。結局、頭を完全にお水の中に入れ込んで歯でつかむしかない。(いまだに、Bobbing for Applesで頭を濡らさないと、ハロウィーンだったと言う気がしません。)
そして、そのパーティーと別で、ハロウィーンの当日に、我々子供達がお母さんの手作りで作ってくれた仮装を付けて、近状に回ってお菓子をもらいに行った。子供達がお菓子をもらえて、喜んだけど、近所のおじさん・おばさん達は子供達の可愛い格好を見て、楽しんだし、近所全体の交流になった。「おっ、タイラー君、こんなに大きくなったのだ!」とか、皆が久しぶりにお互いに会う機会にもなる。

それがハロウィーンだ。町の交流だ。日本の祭りも正にそうじゃないですか?日本の皆様がハロウィーンを「やる」時に、その大事な意味を忘れないで欲しいです。




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